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70代、80代、90代、100歳となったら、、、
その時あなたは何を感じ、何を想っているでしょう?

こんにちは。
【生き方コーチング+カウンセリング】あらため、
【これからの時代の生き方研究ラボ】の 立野博一です。
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若竹千佐子著「おらおらでひとりいぐも」で知る、「老い」の心のリアル

70代、80代、90代、もしかしたら100歳位のお年寄りと向い合う時、
彼らの心の内側で本当は「何を感じている?」「何を思っているのか?」と
ーー私は気になってしまいます。

実際、「自分の心の深層に、実際何があるのか?」
ひとはナカナカ迫れきれないものです。

あるいは認知機能の衰えから、
「自分の内面にある何か」をキャッチすること自体が、
難しくなっているかもしれません。

あるいは、思考の焦点があちらこちらに飛び移ってしまい、
10秒後には全く違ったことを、感じたり、
話しているかもしれない。

あるいは、そもそも「今、自分がどこにいるのか?」
「自分とは誰なのか?」という認識も、
薄れかけているかもしれない。

「老い」のプロセスの渦中にいるお年寄りが、
心の内側で「何を感じ?」「何を思っているのか?」をつかむことは、
ナカナカ簡単ではないものです。

若竹千佐子著「おらおらでひとりいぐも」河出文庫は、
そうした高齢者が心の中で「何を感じ?」「何を思っているのか?」を、
リアルに伝えてもらえる小説として、
ひじょうに素晴らしいです!

今日は、この若竹千佐子著「おらおらでひとりいぐも」をめぐって、
ご紹介します。
「老い」や「生きること」「人生」
「死」「孤独」
そして「愛とは何か?」について関心を持っている方に、
小説「おらおらでひとりいぐも」はお薦めですヨ!!

70代のお婆さんの自己探求物語

小説「おらおらでひとりいぐも」の主人公桃子さんは、70代の1人暮らしする高齢者。
15年前に夫=周造が急死した後、
2人の子供達とも離れて、1人で暮らしています。

元々は東北の山の中で育った桃子さんは、
周囲が決めた結婚をする直前に、
1964年の東京オリンピックのファンファーレを聞いた瞬間、
1人で東京に飛び出して来たのでした。

そして住み込みの飲食店で働きながら、
同じように東北出身の青年 周造と出会い、
結婚し、男の子と女の子を育てあげた。

そんな桃子さんの脳内では70代となった今、
「おらの人生とは、いったい何だったのだろう?」
という問いかけが、グルグル巡っているのでしょう。

そうです!
おそらく(例えば、もうすぐ85歳になる私の老母もそうですが)、
多くの高齢者の心の中では、
「自分の人生とは、いったい何だったのだろうか??」
という問いがグルグル巡っているはずです。

誰もの人生にとって、これは、
ひじょうに大切な問いですね。

そして桃子さんの内面では、
複数の東北弁の「声」が、
あれやこれやニギヤカに湧いて来ているそうです。

「改めて桃子さんは考える。
今頃になっていったい何故東北弁なのだろう。
満24のときに故郷を離れてかれこれ50年、
日常会話も内なる思考の言葉も標準語で通してきたつもりだ。
なのに今、東北弁丸出しの言葉が心の中に氾濫している。
というか、いつの間にか東北弁でものを考えている。
(略)
それも1人や2人ではね、
大勢の人がいる。
おらの思考は、今やその大勢の人がたの会話で成り立っている。」

(p18)

どうしてかはわかりませんが、、、
年老いて、ずっと使ってなかった故郷の言葉が、
フシギに脳内で湧いてくるーー
そういうこともあるかもしれない。

つまり小説「おらおらでひとりいぐも」は、
東北弁での自分ツッコミの声と対話しながら、
70代のお婆さんの自己探求が進む物語なのです。

「老いの孤独」と向い合う

「人生の終わりにかけて、ひょっとしたら
これを見つけ出すためにわが人生は営々と営まれたのはあるまいか
と考えられるような、
(略)
かけがいのないひとふし、
なにわぶしのようなうなりのひとふしがあって
(略)
桃子さんの場合は
『人はどんな人生であれ、孤独である』
というひとふしに尽きる。」

(p64)

そうですね〜。
「これを見つけ出すために、わが人生は営々と営まれたのはあるまいか」
という、うなりのひとふしーー
実は誰もが、持っているのではないでしょうか?

とはいえ、
その大切な「うなりのひとふし」には、ナカナカ近づけないものです。
ナカナカ気づけないものです。

そして桃子さんは、内的探索の果てに、
「人はどんな人生であれ、孤独である」というひとふしに、
たどり着いた。

おそらく夫=周造を15年前に亡くして、
長い1人暮らしをして来たからこそ、
「孤独」の意味に気づけたのではないでしょうか。

「老いの孤独」にしっかり直面して、
その内面の声を言語化しているーー
ここが著者である若竹千佐子さんの、
スゴイ所です。

高齢者が心底求めている「自由」や「自立」

「おらが知りたいのは、
おらどの愛に問題があったのが、
それとも男と女の愛そのものが問題なのが、ずことだべ

もは分がってるべしたら
愛はくせもの
愛というやつは自己放棄を促す
おまげにそれと美徳と教え込む
誰に
女に

あなた好みの女になりたい!
着てはもらえぬセーターを寒さこらえて編んでます
何とかならないのが、この歌詞。
この自己卑下。奴隷根性。
(略)
でいじなのは愛より自由だ、自立だ。
いいかげんに愛にひざまずくのは止めねばならね
んだ。愛を美化したらわがねのだ。
すぐにからめとられる

1に自由。3、4がなくて5に愛だ。
それぐらいのもんだ」
(p103)

「愛」よりも「自由」や「自立」が自分にとっては大事ーー
と、70代の桃子さんは気づいた。
夫=周造は桃子さんにとって、本当に最愛の男だったのですが、
周造亡き後ずっと内的探索してきた桃子さんは、
自分が心の底で本当に求めていたのは、
「自由」や「自立」と気づいた。

もちろん人によってさまざまでしょうが、、、
高齢者が「愛」よりも「自由」「自立」を求めていた、
と気づくことには、とても深い意味があるでしょう。

「愛」よりも人が深い所で求めていた、
渇望していた何か? があるかもしれない、、、
ということデス。
まさに、「愛はくせもの」。

とりたてて特別なことがあるわけではない、
平凡な日常としても、、、
そして孤独だとしても、、、
その中で「自由」を大切にしたい高齢者の気持ちというのは、
確かにあるーーと、私も思います。

私も、実家で1人暮らしを続けている老母と話すと、
それを言われます。
「何より願っているのは、、、
この家でできる限り最後の最後まで、
1人の自由に生きることだ」と。

高齢者は先に逝ったパートナーと、内面で対話し続けている

「これまで生きてきた中で
心が打ち震え揺さぶられ、
桃子さんを根底から変えたあのとき、
周造が亡くなってからの数年こそ、
自分が1番輝いていた時ではなかったのか
と桃子さんは思う。

平板な桃子さんの人生で
1番つらく悲しかったあのときが
1番色濃く色彩をなしている。」
(p123)

最愛の夫=周造が急死した後の
悲しみにくれた数年こそが、
「自分が1番輝いていた時」と、
桃子さんは考え始める。

大きな悲しみの波に翻弄された数年間こそが、
実は自分の人生全体では、
深い意味ある時間だったと、
桃子さんの心の深層で転換が起こったようです。

「おらは独りで生きでみたがったのす。
思い通りに我れの力で生きでみたがった。
それがおらだ。
おらどいう人間だった。
なんと業の深いおらだったか。
(略)
周造はおらを独り生がせるために死んだ。
はがらいなんだ。
周造のはがらい、それから、
その向ごうに透かして見える大っきなもののはがらい。

それが周造の死を受け入れるためにおらが見つけた、
意味だのす。」
(p151)

夫の死の持つ深い実存的な意味を、
哀しみの果てにつかみ、
これを受け入れた。

それは夫の「はがらい」であり、
「大っきなもののはがらい」なんだ、、。

多くの高齢者は、こんな風に、
先に逝ったパートナーとの内的対話を、
日々、続けているのでしょう。
(私の老母も、まさにそうです。)

とても深いふかい意義ある、
内的対話です。

「老い」「孤独」「愛」「自由」そして「死」

「おめはただそこにある。
何もしない、
ただまぶるだけ。見守るだけ。
それがうれしい。それでおらはおめを信頼する。

おらの生ぎるはおらの裁量に任せられているのだな。
おらはおらの人生を引き受げる。
そして大元でおめに委ねる。」
(p165)

そしてここで、
「おめ」と言われているのは、
桃子さんの故郷にある八角山のこと。

八角山は、周辺の村人にとっては、
1種の宗教的な崇敬を集める山なのですが、
おそらく桃子さんは、人生の締めくくりのステージにいて、
八角山との霊的な繋がり(?)に、
覚醒したようです。
ここもほんと、スゴイですネ〜。

ウチの散歩コースから望む赤城山です
山々を眺めていると、しぜんに心が落ち着く。
山々の存在を思い出すと、何か大いなる存在に見守られている気持ちになる、
ーーということは実際ありますネ。

私=立野も今、
赤城山麓に移住してきて、
赤城山や周りの山々を眺めていると、
こうした桃子さんのような気持ちになります。

そして「老いのプロセス」を生きる高齢者にとって、
自分が「何か? 大いなる存在」に見守られている、
繋がっていると感じることは、
とても深い意味ある、霊的な体験ではないでしょうか。

あの大きな山のふところに、
自分は帰って行ける、、、という。

こんな風に若竹千佐子さんの「おらおらでひとりいぐも」は、
ナカナカ言語化されることが少ない、
「老い」の渦中にある人達の内的世界、
「孤独」や「愛」、
「自由」そして「死」について、
しっかりと語られている所がひじょうに素晴らしいと、
私はおもいます。

「老い」というテーマは、ある程度の年齢にならないと、
リアルに感じにくい、
複雑なテーマです。
とはいえ、誰もが生きている限りいつかは直面する、
とても深いふかい人生のテーマです。

「老い」「孤独」や「愛」、
「自由」そして「死」に関心のある方に、
若竹千佐子著「おらおらでひとりいぐも」はとてもお薦めできます!
ぜひ1度、読んでみて下さいね〜。

☆映画「おらおらでひとりいぐも」スペシャルムービー公開
この小説は、沖田修一監督、田中裕子さん主演で映画化もされました。

 

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