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人の心に響き易い言葉の「質感」が、あるようです。
それは本当に「人それぞれ」なのですが(汗)。

こんにちは。
立野博一です。
今日は、個人的な私のコミュニケーションで感じている課題を、
ここに書いてみます。

例えば、私の大学時代からの古い友人で、
「旅する占星術師」として日本各地で活躍するようになっている、
ルシエル(小林永)君という男がいるのですが、
先日彼にこう言われました。

「立野が、妙に丁寧な話し方をするのは、
かえって違和感を感じるよ」と。

ウ〜〜ン、
確かに私は、丁寧語で話す傾向がありますが、
30年以上の長い付き合いである彼にそんな風に感じられていたなんて、
意表を突かれた想いです。

もちろん、距離の近い彼に対しては、
私も普段、遠慮せず話している(ハズ)ですが、
それでも彼からすれば違和感があるようです。

とはいえ、です。
「立野さんは、丁寧に、おだやかに話してくれるからイイ」
と言ってくれる別の人達もいるのです。

つまり、私が丁寧に話すのに、
「違和感を感じる人」と、
「好意的に感じる人」がいるのです。
ナンジャ、コリャ??

これは、話している言葉の意味や文脈というよりも、
「質感」のことではないか?
相手に、響きやすい言葉の「質感」みたいな所が、
あるのではないでしょうか?

そして、こうした言葉の「質感」への反応は、
本当に「人それぞれ」に違っているということーー
ビミョウな問題ですねえ。

これは一体どういうことなんだろう??と、
ここしばらくの間、私は感じ続けています。

ひとつわかるのは、
「質感」は体感覚で感じて、
判断されているでしょう。
体感覚で感じる、違和感だったり、
信頼感だったりするようです。

あなたは、こうした言葉の「質感」について、
どう感じますか?
あるいはそもそも、言葉の「質感」って、
あると思いますか?

私自身は、もっとシンプルに、率直に、
コミュニケーションしたいのですね〜。
さびしいなら、「さびしい」と、
ウレシイなら、「ウレシイ」と、
そのままシンプルに表現すればイイのではないですか!

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